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宝石辞典
つい200年前までは、レッド・スピネルや赤系統のガーネットを含めて、すべての赤い石のことをルビーと呼んでいました。ルビーの由来や歴史は、こういった事実に注意して理解しなければなりません。とろこで古代ローマでは現在のスリランカから、宝石の王といわれるルビーを入手していたといわれています。このころすでにスリランカで商業的採掘が始まっていたと考えることができます。

ダイヤモンドは紀元前8世紀にインドでお守りとして尊ばれ、高く評価されていました。それ以後、1725年にブラジルで発見されるまで、インドが唯一のダイヤモンド産出地でした。ローマの要人は、ダイヤモンドが他のすべてのものを傷つけてしまうことから、原石をゴールドのリングにセットして身につけたそうです。当時は美しさを楽しむのではなく、類いまれな力を信じて身につけていたようです。そして古代ローマのダイヤモンドの品質をみると、高品質のものはインド国内で使われ、輸出されなかったことがうかがわれます。

初めてインドのダイヤモンド鉱山を訪ねたヨーロッパ人は、フランス人の宝石商ジャン・バティスト・タベルニエ(タベニール・1605~89)です。タベニールは1631年から1664年にかけて6回東方の旅をして、"The Six Voyages"という旅行記を書いています。彼は冒険家であり卓越した宝石商で、インドのムガール帝国の宮廷や当時のダイヤモンドの集荷地ゴルコンダをはじめ、いくつかのダイヤモンド鉱山を訪ねました。旅行記にはダイヤモンドが砂と岩の地から採れること(漂砂鉱床)、ヨーロッパと違ってウエイトを残すことがインドのやり方であること、取引が自由にできたことなどがかなり詳しく記されています。またタベニールは、当時の3カラット以上のダイヤモンドの価格は、石目方の二乗に1カラットの価格を掛けて計算できることを示しています。

カラーストーンは、ペグー王国(現在のミャンマー)とセイロン島(現在のスリランカ)で、ペグーではルビー、スピネル、トパーズ、サファイヤ、ヒヤシンス(ジルコン)、アメシストなどが産出されたと記されています。ペグーでは。陸地はライオン、虎、象が多く、船で旅しなければならないことや、ヨーロッパからペルシャ、インドへの旅は海賊に遭わないためにどのルートがベストで、どの隊商と組むのがよいかということなどが書かれており、今から350年前の旅がいかに難事であったかが偲ばれます。スリランカではルビー、サファイヤ、トパーズが採れ、ミャンマーのものよりも美しく澄んでいると記されています。そのほか、ハンガリーがオパールの唯一の産地、ペルシャがトルコ石の産地であることも、このころもうわかっていたようです。彼は1660年代末にパリへ帰り、ルイ14世に、インドから持ち帰った"ブルー・ダイヤモンド"を含むダイヤモンドのコレクションを販売し、その功績で彼に貴族の称号が与えられました。

1866年に南アフリカで発見されたダイヤモンドは、ダイヤモンドの産出を飛躍的に増大させました。1870年のインド、ブラジル、南アフリカを合わせた年間産出量(原石すべて、工業用を含む)30万カラット(60kg)が、1880年み南アフリカのみで300万カラット(600kg)と10倍になりました。その後アフリカ諸国からの産出が加わり、1960年に2700万カラット(5.4トン)、さらにロシアが加わって、1980年には4300万カラット(8.6トン)、そしてオーストラリアが加わり、ボツワナが増産して1990年の年間産出量は1億150万カラット(20.3トン)に上昇したのです。(以上、Levinson, Alfred A.ほか、Diamond Sources and Production: Past, Present and Future in Gems & Gemology Winter 1992, GIAより引用)

ダイヤモンドの価格査定

左上の表は当時のダイヤモンドの価格査定につかわれたものです。

問題は、低品質のものを産出するオーストラリアとコンゴ民主共和国が50%以上を占めており、かつて工業用に回していた原石を宝石用に使っていることです。かつては宝石用20%、工業用80%と分けられていましたが、現在は宝石用15%、ニアー・ジェム39%、工業用46%といわれ、価格はおおむね100対10対1の差があります。ニアー・ジェムを研磨できるインドの生産力、大衆商品としての低価格商品の需要、合成ダイヤモンドの工業用代用による工業用ダイヤモンドの価格低迷などがこの20年間のダイヤモンドマーケットを大きく変えたのです。本来、素材として低い工業用のものが文字どおり"宝石に近い"(ニアー・ジェム)として宝石用に研磨されている現在のダイヤモンド市場では、特に素材の善し悪しに注意を払った美しさを見極めることが大切です。また1980年代に年間の採掘量が2倍以上に上昇したにもかかわらず、高品質のものはむしろ減少していることも見逃せません。

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